社会福祉施設におけるクラスターの行方2020/05/04 (月)

報道等によると、新型コロナウィルス感染症をめぐっては、これまで広島県下の2か所の福祉施設においてクラスターが発生しています。私が、そのうちの一つ、障害者の入所施設(以下「A施設」といいます。)の事案についてその内容を知ったのは数日前のことです。4月24日に開催された「広島県新型コロナウィルス感染症に関する福祉サービス調査本部会議」で報告された内容を同会議に出席された複数の方からお聞きした訳ですが、私にとって極めて大きな衝撃を伴うものでした。

それは、所管の保健所が指示したといわれるクラスター発生後のA施設の対応の内容です。A施設ではこれまでに職員、入所者を含め60人以上の感染者が出ていますが、基本的に(医療機関等ではなく)施設内療養で対応することとし、陽性者と陰性者の生活空間を分け、職員全員が施設に泊まり込んで、陽性の入所者には陽性の職員が、陰性の入所者には陰性の職員が介護や生活支援に当たっているというのです。更に、重症の入所者1名が入院となったそうですが、陽性の職員1名がその付き添いとして一緒に入院しているそうです。

あれだけ多くの感染者を施設内療養で対応させるというのも大きな驚きですが、陽性の入所者の支援を陽性の職員にさせるというのは、さすがに「それはないじゃろう。」と叫んでしまいました。既に感染してしまっているので「感染リスクは無い」ということでしょうか。今回のコロナでは、無症状や軽度の方でも急に症状が悪化して亡くなるというケースも多発していますし、脆弱な感染予防体制の福祉施設で陽性者を支援させるなど「君たちの陰性化はあきらめてくれ。」と言っているようなものではないですか。何より職員本人やその家族の恐怖感や心痛に対してどう向き合っているのかと。その職員を自分の家族に置き換えて考えてみて、「仕方がない。」で済む問題なのかと問うてみたくなります。例え本人の志願による行為だとしても、極めて異様な対応と言わざるを得ません。

入所者の室内をアルコール消毒する施設職員

大阪では、陽性が判明した看護師に夜勤を命じた病院が報道で大きくたたかれていましたが、保健所の指示によるとされるA施設のケースは、それよりも重大な別の問題を孕んでいることが見えてきます。

広島県は、福祉施設等でクラスターが発生した場合の対処方針を次のように定め、4月30日各市町に通知しています。それによると、入所施設に発生した場合には、他施設への感染拡大を防止するため、「あえて支援しない。」として、①発生施設の入所者は、陰性者であっても他施設で受け入れることはできない。②発生施設に他の施設の職員を派遣することはできない。この方針は、名古屋市等の先行例に沿ったもので全国老人福祉施設協も共通理解に立った方針だとしています。愕然とします。A施設への対応もこれに沿ったものなのでしょうが、職員が次々に発症して支援スタッフがいなくなったらどうするのでしょうか。誰も助けに来てはくれないのです。即、介護崩壊であり、次に向き合うことになるのは入所者の「死」です。要するに、この方針は、脆弱な地方の医療体制の崩壊と他施設への感染拡大を防止するために、介護崩壊が起きた施設は「見捨てる」という考え方に他ならず、要介護高齢者・障害者の「切り捨て」以外の何物でもありません。

もっとも、私は、県がこうした対応を進んで採用したとは当然思っていません。法体系や行政機能を含めて、現在の我が国の「仕組み」においては、大規模な感染症の蔓延という非常事態を前にして手立てがこの方法しかなかったというべきなのでしょう。巷間言われるように、戦後日本においては、国家や社会が戦争や大災害などの緊急事態に陥った時の法体系が未整備であり、他の法治国家のように国家社会を挙げた強力な支援体制を組むことが困難なために、一事が万事「事なかれ主義」的「場当り」的な対応になってしまうのでしょうか。

戦後、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」我が国は、戦争などの非常事態の発生を想定すること自体を、端からためらっていたからでしょうか、わずか100人にも満たない感染症の集団感染という事態にすら国や県を挙げての救援措置を講じられないままです。早急に国家的緊急事態に対応する態勢を整え、大規模な医療・介護チームを派遣するなどの救済対策をとるべきです。新型コロナウィルスは、「平和を愛する諸国民」の使者でも「公正と信義」を持ち合わせた善意の存在でもなく、無差別に私たちに襲いかかっているのです。

(令和2・5・4 増岡孝紀)