新型コロナ禍が示唆するもの - 近代合理主義の終えんについて-2020/03/19 (木)

コロナ禍は自然からの人類への警告?

新型コロナウィルス感染症の世界的蔓延によって、近代文明は破綻の危機に直面している。というのは言い過ぎでしょうか。しかし少なくとも、今回の「コロナ禍」をめぐっては、その感染力、治療方法、更には遺伝子構造等についてもわからない事が多すぎるため、「未知なるもの」への恐怖で全世界が覆い尽くされているというのが現状ではないでしょうか。

また、近年の世界的な異常気象による大規模な風水害や地震など多発する災害と相まって、世の中は、人類の未来に対する言いようのない不安と閉塞感に満ちており、その様は、人類の飽くなき欲望によって破壊され奪い尽くされてきた自然界からの強烈な「しっぺ返し」によって、傲慢な人類の鼻っ柱がへし折られている姿にも見えてきます。

18世紀イギリスに端を発した産業革命は、その後の人間の行動や組織の在り方に大きな変革をもたらしました。科学技術の発達とともに、万物の事象を科学的・合理的に考える風潮が強まり、精神と物質を分離して、人間や自然を「生命」のない物質、すなわち機械と同じものと考えるようになってきました。例えば、人間の心の動きについても脳科学・物理学・神経学・心理学等によって、即ち「人智」によって全て解明できるという思想のようにです。

更に、もともと西欧のキリスト教的自然観は、「人間以外の自然物は、神によって人間のために創造されたもの」という考えであったために、科学的・合理的思考の浸透とともに神の権威が衰えてくると、「人間は自然の支配者であり幸福追求のために自然を利用できる」という考えに立つようになり、人間の快適な生活(物質的豊かさ)を得るために、自然を破壊し、人工的に作り替え、利用し尽くしてきたのです。

焼き尽くされる地球の肺アマゾンの森林

この産業革命以来の近代人の基本的思考態度は「近代合理主義」と言われ、近現代における万物事象のとらえ方の主流になってきましたが、こうした考えによって、人類は真の意味において豊かになり幸福になったと言えるでしょうか。自然に対してもこのような傲慢な態度でよいのでしょうか。

20世紀を経て21世紀を生きている私たちは、今や、民族や宗教の対立、自然の修復能力を超えた環境破壊、溢れる多様性と個人主義の昂揚等々、近代合理主義に基づく論理的思考では理解不能、解決不能な問題に直面しており、こうした思考態度は、現代においてはもはや妥当性を失い、破綻してしまったと考えるべきではないでしょうか。

今回の「コロナ禍」は、「我々は真理を完全に所有している。」という傲慢不遜な近代合理主義の終焉をいみじくも炙り出しているのであり、翻って、自然の神羅万象に神々を見出し、人間の存在もその中の一部に過ぎず、自然との調和と共生の中にこそ救いを求めるべきであるという日本の伝統的生活態度に回帰することの重要性を示唆しているのではないでしょうか。

(令和2・3・19 増岡孝紀)