雑感2011/09/27 (火)

我が国に定住する外国人の数が200万人を突破したとのニュースを聞いてから、もう何年経つでしょうか。不況下での安い労働力の確保、留学生の受け入れや滞在許可の緩和など、定住外国人増加の理由は様々だと考えられますが、一昔前は「農家の嫁不足」というのがその大きな背景だったのをご存知でしょうか。

専業農家の長男として跡を継がれている知人Sさんが、三次市内の気の合う仲間の集まりでそのことについて話をされたことがあります。もう二十数年も前のことです。兼業ではあるもののやはり同じように長男として農家を継いでいた私は、その話を聞いて、忸怩たる感情に襲われながらも深く共感せざるを得ませんでした。

以下は、私が当時、そのSさんの「講話」を聞いて感じたことの本旨を留めておこうと、雑文にして書き残しておいたものです。恥を忍びつつ紹介させていただきます。

農家を継ぐということ ―農家の嫁不足について(S氏講話録)―                                     

農家の生活(昭和42年)

世界第2位の経済大国になった日本だが、その農村には、「恋愛と結婚」が遠い世界の出来事でしかなく、農家の長男に生まれたというだけで結婚をあきらめざるを得ない男たちが数多くいるという現実を都会人たちは理解できるだろうか。

農家の嫁不足という問題。農業を受け継いで生きていこうとする若者にとってこれほど切実で困難な課題はない。

さまざまな農機具、肥料、農薬などの無数の雑物が散乱した農家という生活空間。土埃にまみれ、都会の女性が夢に抱く「清潔な住居」や「日常の家事」という概念そのものをも放棄せざるを得ない、永遠に差配、支配できないと観念せざるを得ないその雑多な生活空間。今流行の「農村体験」で蚋や蚊の大群に襲われ、「ここは地獄だ。」と叫びながら家の中に逃げ帰る現代っ子や都会人を目の当たりにした時の言いようのない寂しさ。広い農地に容赦なく繁茂する雑草を目前にして、「また、草との戦争の季節がやってきた。」と諦観せざるを得ない夏の感覚、等々。農村生活に慣れた者には当り前の感覚だが、都会人にとっては小さいようで埋められない決定的な感覚の相違。この生活感の格差は双方を体験した者でなければ決して理解できないものである。

はたまた、毎日の辛い農作業。間断なく流れ出る汗と土まみれの日常。仕事の段取り、近所づきあい、家事などに関わる嫁姑の確執。土色が染み込んだ木の根のような指で物洗いをしながら、その生活の辛さに毎日のように涙していた母の記憶、等々・・・。

幼少期からそのような生活体験の中で適齢期になった青年は、追い討ちをかけられるように、現代女性が農家に嫁ぐことを敬遠する話題やニュースを見聞きする。

「大好きな彼でも、農家の嫁となるとちょっと考える。」「何も好き好んで農家に嫁がなくても。」「彼が農家の長男だと発覚したら、最終的には別れると思う。」・・・・。

時代は変わり、農業の機械化が進み、生活環境も都会のそれと大差がないように変わっても、そんな経験がトラウマのように青年の心を支配する。

農家の嫁不足。それは、女性から一方的に避けられることがほとんどであると思われているが、実は、大切な人であればこそ男性の方からあきらめようと決意するケースが意外に多いことは、世間にはあまり知られていない。

生活体験からくるトラウマと劣等感を抱えながらも、農村という豊かな自然の中で、さまざまな動植物と「同居」しながら育った若者の感性。それは、控えめながらも愛情は深く濃い。その控えめな愛情表現こそが、彼らの悲哀の源泉となる。

「本当に好きになるということは、自分の事よりも相手の幸せを願うことである。」という言い古された心のありように倣うように、生活環境の違いを宿命と感じ、好きであればこそあきらめる。今時の若者の感覚ではほとんど理解し難いであろう「不条理」とも言えるその決断。「愛していればこそ、たとえ地の果てまでも・・・。」という人間の精神の強さと男女の深い愛情の存在を信じていないわけではないけれど、幼少期に見たあの母親の涙を、愛する女性のそれに重ねて想起して、都会育ちの女性にとって農家の生活は苦痛以外の何ものでもなく、そんな辛い思いを大切な人には味わわすべきではないと、「(農家の生活は)君には無理だ。」と告げて、大切な宝物を深い沼の底に沈めて封印するように。好きであればこそ「自ら諦める」男たちは、意外に多いというのが、私の確信である。

それを宿命というには大げさかもしれないが、「農家の後継ぎ」という重い人生の課題を背負いながら、たったひとりで黙々と農作業に汗を流す男たちはどれほど居るのだろう。草刈りの合間に満開の彼岸花の傍で汗をぬぐうY君も、厳しい残暑の中コンバインのハンドルを握る川向うのKさんも、その厚い胸の奥底では、封印した好きだった女性への思いが、今も深い沼の底に沈んだ金塊のように重く鈍い輝きを放っているかもしれないのである。

かくして、隣村の農家の長男A君にとっても、「恋愛」というあらゆる力の源泉にはなり得ても不確かで壊れやすい感情よりも、あっけらかんと「農家の生活でも大丈夫よ。」という言葉が、哀しいかな人生の伴侶を決める最も大きな要素となる。

しかし、その言葉も、もはや日本女性からはなかなか聞けないのが現状なのである。

(後略)

私は、Sさんの話に聞き入るうちに、このような人の心の内奥に潜む容易に察知されることのない真情というか、機微な感情、いわゆる「琴線に触れた」話はなかなか聞けるものではないなと思いました。

私の駄文では、その辺のところが伝わりにくいのですが、「嫁不足」という憂うべき農家の現状を的確に説明しているという共感よりも、ひとりの「農家の後継ぎ」の決断の背後にある真実、一切の説明を拒絶するようなその深い内面性に対しどう向き合い、何を学び、どう行動するのか、そのことに真剣に心を砕こうとするSさんの態度に感動したわけです。

実は、Sさんも外国人の女性と結婚され、今では専業農家としての堅実な歩みを進めておられます。Sさんは、本当は、農家の長男という自分の境遇というか自分史を通して、人は誰でもその胸の奥底に人知れず重い人生の課題を背負って生きているものであり、その多くが宿命的なことであるが故に他人にはほとんど話されることも無く、また例え話されたとしても他人には容易に理解し難いことだろう。しかし、その重さを感じようとする真摯な態度こそが重要であることを、とりわけ「華やかな都会人」に対して訴えたかったのかもしれません。

脚下照顧。私自身への強烈な戒めを込めて言わせていただくとすれば、「生きていくこととは、人を真に理解しようとすることである。」とSさんもよく言われていたように、私たちの日常は、自他に関わらず人の思いの深さにどれほど近寄れるのか、その訓練のような気がしますし、それこそは、きっと福祉という仕事の現場においても、最も重要な問題に違いありません。

(平成23年9月 増岡孝紀)